INACOME NIGHT 第6弾

第6弾のゲストはポケットマルシェ代表取締役の高橋博之氏。現代における自然との分断、都市と地方の分断を取り上げ、「地域活性化って何ですか?」「その地域がどういう状態になることですか?」との氏の問いかけが、翻って日本社会の根底にある課題を浮き彫りにしています。

日 時:2021年1月12日(火)19時~21時
テーマ:地域活性化
ゲスト:株式会社ポケットマルシェ代表取締役 高橋博之 氏

(プロフィール)
1974年、岩手県花巻市生まれ。岩手県議会議員を2期務め、2013年にNPO法人東北開墾を立ち上げ、食べもの付き情報誌「東北食べる通信」編集長に就任。2014年、一般社団法人「日本食べる通信リーグ」を創設。全国35ヶ所、台湾4ヶ所に食べる通信モデルが広がる。同年夏、「一次産業を情報産業に変える」をコンセプトに、農家や漁師から直接、旬の食材を購入できるスマホアプリ「ポケットマルシェ」サービス開始。著書に、「都市と地方をかき混ぜる」など。

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人間はもう一遍自然とつながるべき
私は生産者と消費者をつなぐ取り組みを行ってきたが、その結論は「これ以上人間が自然から離れるとロクなことにならない」ということ。でも多くの人が都市で生活する中、今さら森の中で暮らすというわけにもいかない。
ところで人間は毎日3回、80年生きると一生で8万7千回食事をする。食べ物は、元をたどれば動植物の死骸。しかし消費と生産が分断されてしまい、命をいただいているという感覚が持てなくなっている。
食べるという行為は単なる栄養補給ではないはず。食べ物の生みの親は自然で、育ての親は生産者だ。食べものの裏側には生身の人間がいる。田舎には自然に翻弄されながら必死に生きている人たちがいる。そういうことをわかった上で食べるのとそうでないのとでは大違い。だから生産者と消費者とが直接つながって、どこの誰がどういう思いでつくったか、ルーツのわかるものを、せめて週に一回でも食べてほしいと思う。自然と人間がつながるには、そういうことから始めるしかない。

ふる里難民
かつて東京は田舎者の集まりだったが、今や首都圏の大学生や、霞が関の公務員も首都圏出身者が多数派で、これでは都市と地方が「かき混ざらない」。岩手の人が霞が関に陳情に行っても意味が伝わらず、相互理解が難しい時代になっている。
子どもは自分が生まれ育った環境にないものに憧れる。今でも田舎の子どもは都会に憧れているが、最近の都会の子どもは、田舎の近所付き合いとか自然に憧れるようになっている。
ふる里のない“ふる里難民”には、ぜひ自分のふる里を作ってほしい。最初はおいしいものを探すところからで良い。ポケマルは生産者とコミュニケーションをとれるようになっているので、気の合う生産者がいたらぜひつながってほしい。
生産者とつながると、農業体験、漁業体験がしたいと、子どもを連れて家族で産地を訪れるようになる。現地で生産者と一緒に食べたり飲んだりして触れ合うと友達になる。そうすると、その産地が台風の直撃を受けたりすると人ごとでなく、我がことになる。
都市と地方のどっちが豊かかという二項対立の議論はもうやめるべき。都会にも地方にもそれぞれすばらしさと生きにくさがある。
普段の生活の拠点は都会にあっても、帰ることができるふる里を地方につくっていけば、地方の過疎、東京の過密の問題を、解消はできなくても緩和することはできる。

「私が我が魂の指揮官」
「ああすればこうなる」とはいかないのが自然の世界。農家と漁師は「今年は猛暑だからしょうがない」「台風がきたからしょうがない」とそれがわかる。でも事業計画を達成できないと報告して「しょうがない」と言う社長はいない。「何で達成できないんだ」となる。
日本の将来にとり、田舎の存在がこれからはますます大事になるが、「救う」という文脈でなく「都市生活者のためにこそ田舎が必要」というふうに考えるべき。このことが田舎が未来を開けるかどかの勝負どころ。そういう考え方が浸透すれば都会人は自分のこととして田舎を守りにかかる。
ネルソン・マンデラの27年間の獄中生活を支えたという「私が我が魂の指揮官」ということばがある。これは自己決定できることを表している。地域がこの先存続するために必要なことは、そこに住んでいる人たちが「私が我が魂の指揮官」になっているかどうかだと思う。
人口減少、人口高齢化というのはじわじわと進行するので、地方は目前の危機を実感しにくい「ゆでガエル」の状態にある。でも東日本大震災のような大規模自然災害に見舞われた地域は違う。うまくいってるところは地域の若者が頑張っている。「じいちゃんの代から受け継いだ農地を守るのが俺の使命」だと立ち上がっている。でも震災前はそんな風に思わなかったという。ここにヒントがある。
農家の仕事は大変だが、何をつくるかというところから全部自分で決ることができる「私が我が魂の指揮官」になりやすい職業だ。都会のサラリーマンから転職して就農したある人は「人間関係のわずらわしさから解放された」「人に会うことが稀になったので、その分人とのコミュニケーションが楽しくなった」「子どもに働いている姿を見せられる」「何より時間の使い方を自分で決められる」とそのメリットをあげている。

幸せを論じること
第一次産業の課題の原因は、食べ物の価値が下がってきたことにある。食べ物が溢れている今、戦後復興の時代の、安く大量に安定供給するという従来型の発想は通用しない。
これからは「いかに違うか」が重要で、そのカギは「人と人との関係性」にある。食べ物は人間関係を育む最高の手段で、第一次産業はこれを価値にすることを目指すべきだと思う。
この先、農山漁村の全ては残らないだろう。しかし日本には無常観ということばがあるように、減少することや縮小することが負けというわけでもない。
「地域活性化って何ですか?」「その地域がどういう状態になることですか?」。私は田舎の現在の状況を招いた思考を解決策にするなと言いたい。日本人の多くは孤独でさみしく、幸せを実感できない精神的飢餓の状態にある。地域や日本のこの先を考える時には、「幸せ論」を避けては通れない。10地域あれば10の幸せがあるはずで、それぞれの地域はそれを目指すべき。
理詰めで考えると「みんな都会に集まって暮らすのが良い、それが効率的だ」となりがちだが、何か大切なことを見落としてはいないか。都会があるだけで日本は決して成り立たない。このことを真剣に考えるべき時期に来ていると思う。