東日本唯一の現存天守である弘前城を有する青森県弘前市。昔ながらの趣を残したこの城下町にあるタップルーム「ギャレスのアジト」では自家製のクラフトビールと地元の食材をふんだんに使った美味しい料理を味わうことができる。オーナーを勤めるのは、三味線奏者・タレントとしても活躍しているギャレス・バーンズさん。アメリカ出身のバーンズさんがどうして日本の最北端である青森県で事業を行うことになったのか。外国人だからこその視点で地方での起業についてうかがった。
助っ人編集部
まず、簡単に事業について教えてください。
ギャレス
青森県弘前市で自家製クラフトビール工房「Be Easy Brewing」でクラフトビールの製造とタップルーム「ギャレスのアジト」の運営を行なっています。Be Easy Brewingは、「美味しいビールを作ること」「青森に貢献できるような会社になること」「新たな雇用を生み出す会社を作ること」を目標に運営しているよ。
助っ人編集部
開業にいたるまでの歴史を簡単に教えてください。
ギャレス
僕はアメリカの空軍に入隊していたんだ。2005年に青森県三沢空軍基地に配属されて、18歳から23歳まで爆発処理班の仕事をしていた。軍を卒業してからは、津軽三味線を勉強して、そのうちにテレビにも出るようになって、自分の英会話教室も開いた。 はじめは、1年間だけ日本に残って国に帰ろうと思っていたんだけど、気づいたら14年も住んでいるね(笑)いろいろな事をさせてもらう中で、それぞれの仕事である程度やりたいことができるようになって。これ以上できることはないかなと思いはじめるようになった。次は、実りのあることをしたいと思い、ビール工場を作ったんだ。
助っ人編集部
なぜ青森でビールを作ろうと思ったんですか?
ギャレス
地方って、東京のブームがかなり遅れてくるんだよね。東京でブームが終わった頃に、やっと青森にブームがやってくる。これからは絶対クラフトビールがくると思っていたから、こっちにブームがくる前に青森で美味しいビールを作って全国に届けられたらいいなと思ったんだ。現在は、全国300店舗にビールを卸しているよ。
助っ人編集部
工場の上でタップルームも運営されてますが、こちらも最初からやろうと思っていたんですか?
ギャレス
最初はビールのテイスティングルームをやろうと思っていたんだ。でも、今のうちの料理長に出会って、せっかくなら美味しいビールと美味しい料理を一緒に楽しめる場所を作りたいなと思ったのがきっかけで始めた。「ギャレスのアジト」では自分の畑で栽培した野菜を使ったお料理とクラフトビールを楽しむことができるよ。
自家製野菜をふんだんに使った料理が食べられる
助っ人編集部
事業をはじめた当初、ビールの卸先を見つけるのは苦労されましたか?
ギャレス
最初は知り合いがやっている東京の歴史があるビアバーにビールを卸させてもらった。あとは東京、大阪、京都のお店に営業というより挨拶に行ったくらいだね。「クラフトビールはじめました!よろしくお願いします。」って感じで。それからは自然にバーンと広がっていったんだよね。だからビールを置いてくれる店を探すのにそこまで苦労したってことはないんだ。卸先の店の人がSNSで発信してくれたり、ビールを飲んだお客さんが口コミで広めてくれたり。僕たちが営業らしいことをしなくても全国に広がって行ってくれた。
ただ、ビールを置いてくれているお店の方には直接お礼を言いに行くようにはしているよ。あとは、知らないうちに市の観光ガイドに掲載されているなんてこともあったね。インフォメーションセンターでもらえる冊子らしいんだけど、何も聞いていなかったから、お客さんが持っているのをみてびっくりしたよ。でも、自分たちが知らないところで、周りの人たちが動いてくれているのは嬉しいね。
助っ人編集部
タップバーにいらっしゃるお客さんは地元の方が多いんですか?
ギャレス
そうだね。若い人もお年寄りも、男性も女性もいろんな人が来てくれるよ。他にも、秋田、東京、京都など、全国から来てくれるお客さんもいる。県外のお店でビールを飲んだ人たちが、本場で飲みたくて青森に来てくれるみたいなんだ。
助っ人編集部
地方で何か新しいことを始めるときに拒絶反応を示されるという話をよく聞くのですが、そのあたりはいかがでしたか?
ギャレス
はじめは苦労しかなかったよ…。銀行や市役所にビール工場をやりたいと話したら、すぐに無理だと言われたし、タップルームの場所も「あの場所は人が入らないよ」と言われたんだ。誰に話しても「頑張って…」と言われるだけで、本当にできると思ってくれたのは今のスタッフくらいだった。でも、「無理だ!無理だ!」って言われたら、逆に気持ちがヒートアップして、「できないといった人たちを後悔させてやる!」って思いが生まれて、逆に原動力になったんだ。実際にやってみたら本当に順調に進んでいって、今もどんどん忙しくなっている。成功してしまえば周りは何も言えなくなるでしょ?自分たちが成功することでしか見返すことはできないと思っているから、今はとても気持ちがいいね(笑)
助っ人編集部
それは気持ちいいですね(笑)事業をされる場所として、弘前市以外の選択肢もあったと思うのですが、なぜこの場所で事業をはじめられたんですか?
ギャレス
もともとあまり大都市には興味がなくて。東京や大阪に住むつもりはなかったんだ。 弘前は食べ物も美味しいし、温泉もいっぱいあるし、桜も本当に綺麗だし、僕自身とても住みやすいと感じていた。それに弘前は、城下町ということもあって、歴史があるところに惹かれたね。ここでは事業をやったら、間違いなくうまくいくと感じたんだ。
弘前公園の桜
助っ人編集部
確かに弘前市はいいところですよね!ギャレスさんはもともとアメリカのご出身ということですが、青森県にいて不便を感じたことはありますか?
ギャレス
僕がもともと日本にもっていたイメージは東京の秋葉原。漫画やゲーム、アニメのイメージが強かった。だから、青森に来た時はそんなにアメリカと変わらないと思った。家と土地が狭いだけそんなに変わらないと感じたね。一番苦労したのは、やっぱり言葉の部分。日本に来た時は日本語ができなかったので自分にイライラしたよ。 言葉がわからないと”頭が悪い人”、”何もできない人”と思われてしまう。本当はすごく考えているし、しっかりと理解しているのに、言葉にできないと伝わらない。最初は本当にもどかしかった。日本語は自然に覚えたけど、今でも苦労することはあるよ。
助っ人編集部
弘前市は日本語の中でも難解と言われる津軽弁を話しますが、そちらは難しくないんですか?
ギャレス
ずっと青森にいて、耳で言葉を覚えているから、そこは問題なかったね。お客さんの話す言葉はほとんどわかるよ。そもそもそれが訛りだと思っていないからね。 逆にわからないのがコールセンターのお姉さんたちの話す言葉。言葉を綺麗に言うと長くなるでしょ?「時間大丈夫?」って聞くのにたくさんの言葉を使う。そうなると何を言ってるかわからなかったりするんだ。日常にない言葉の方が理解できないね。