【長崎県で起業!】町のデザイナーは町医者のようなもの『景色デザイン室』から発信する新しいまちづくり

INACOME INACOME

地域で活躍する多様な起業家を特集するこの企画。長崎県の島原半島でデザイン事務所『景色デザイン室』を営む古庄悠泰(ふるしょう ゆうだい)さんに、地域に根ざしたデザイン事務所の可能性やお仕事へのこだわりを伺いました。

大学の授業がきっかけで移住

ーさっそくですが、古庄さんのお仕事を教えていただけますか?

古庄)長崎県の雲仙市を中心とした島原半島でデザイン事務所をやっています。クライアントは幅広くて、パンフレットも作るし、商品のパッケージも作っていて、グラフィックデザインを幅広く取り扱っている事務所になります。

ーもともとこのあたりのご出身なんでしょうか?

いえ、出身は福岡県で大学までは福岡にいました。ここに来たきっかけはシンプルで、大学生のときに講義に来てくれた先生に憧れたんです。ミラノでデザイナーとして活躍されていた城谷 耕生(しろたに こうせい)さんという方なんですが、ミラノから帰ってきて地元である雲仙市でデザイン事務所を開業されたお話が、めちゃくちゃカッコイイなぁと。それで大学の人から連絡先を聞いて、城谷さんのところに飛び込んだんです。そのままインターンをさせてもらって、卒業後は城谷さんの事務所に就職しました。そこから3年半くらい働かせてもらって、独立は26歳のときですね。

ー城谷さんはいまも雲仙市にいらっしゃるんですよね?デザイン事務所からの独立というとクライアントの取りあいであったり、あまり良いイメージが浮かびにくいのですが、その後の関係性はどうなんでしょうか。

よく言われるんですが、実はとても仲良くさせていただいてまして。そもそも、他に働いていた人も独立や転職が当たり前のところだったので、特に違和感もないんですよね。最初から『独立してやるぞ!』というつもりで働いたわけではありませんが、働いているうちに将来は独立することが自然と浮かんできた感じですね。あと、城谷さんはどちらかというと建築や商品プロダクトのデザインが中心で、僕はロゴやパッケージを作ったりグラフィックデザインが中心なので、最近だと一緒にお仕事することもありますね。よく一緒に食事もさせていただいてるので、とてもいい関係だと思います。

町のデザイナーは町医者のようなもの

ーお仕事のクライアントはやはり地元が中心なんでしょうか?

そうですね。7割くらいが島原半島の案件で、残りもほとんどが長崎県内です。最初は少なかったんですけど、数珠繋ぎのようにどんどん紹介していただけるようになって。今ではほとんどが紹介のお仕事ですね。

INACOME

ー紹介される秘訣というかポイントはどこなんでしょう。

城谷さんからの受け売りなんですが、町のデザイナーは町医者のようなものだと思ってるんです。ほら、町医者って自分の専門分野じゃない症状でもとりあえず聞かれたりするじゃないですか。まちにお医者さんが一人しかいないから、病気や調子が悪かったらとりあえずこの人に聞こうということになる。デザイナーも同じだと思っていて、例えば雲仙市の人口は4万人ちょっとなので、デザイナーってそんなにたくさんいないんですよね。

なので、デザインが絡むような話はとりあえず古庄くんに聞いてみようという感じで、話しが回ってきていると思っています。だから僕もいろいろできるようになってきました。グラフィックデザインとWEBデザインって結構違うんですけど、WEBデザインもできるようになりました。そもそも大学ではプロダクトデザインが専門だったので、グラフィックデザインも後から学んだ形ですね。

ーまさに地域に根ざしたデザイン事務所のロールモデルですね。

ありがとうございます。とても楽しくお仕事させてもらっています。

ー古庄さんがお仕事でこだわっている部分を教えてください。

僕はデザインを作るときヒアリングや調査に多くの時間を使うようにしています。1から10の作業があるとしたら7くらいまではヒアリングですね。とりあえずカッコいいの作ってください!みたいなお仕事は引き受けないか、そういったことを求めてくるクライアントさんからは距離を置くようにしています。クライアントの想いや商品の魅力をジブンゴトにできるまで調べるし、とにかく話をいっぱい聞きます。だから案件が終わるころにはその商品についてめちゃくちゃ語れるようになってるんです。

職人気質でインタビューがあまり得意じゃない人がいて、雑誌のインタビューで代わりに説明したりもしました。例えば、僕の事務所から徒歩3分くらいにある『アールサンクファミーユ』というお菓子屋さんのロゴや商品パッケージを作らせてもらったときは、使っている素材や調理はシンプルだけど奥深い味わいが魅力だなぁと感じました。

INACOME

その人の想いや商品の魅力からインスピレーションをもらって、ロゴやパッケージを作らせていただきました。 いっぱい話しているから気持ちもわかるし、もともと地元で近所に住んでいるので、継続してお仕事をもらいやすいんですよね。 まさに町医者のように、ちょっとデザイン関係で困ったらとりあえず相談してくれるような関係になれている人が多いです。 『景色デザイン室』っていう屋号に込めた想いは『やがてその街の〈景色〉になるような” ものごとをお届けしたい』なんですけど、地元に根付いてずっとやってきて、少しずつ想いが現実になってきています。

ー順風満帆ですね。ただ、このままいくと人口減少もありますし、大きな事業拡大は望めないと思うのですが、そのあたりはどう考えていますか?東京や福岡に行きたいとか。

あまり考えてないんですよね。東京や福岡に行きたいと思ったことはないです。『めちゃくちゃ稼ぎたい!』ということだったら都会に行った方がいいのかも知れないですけど、それはあまり求めていないので。ここにいると生活コストも安いから無理をしなくてもいいので、じっくり自由にやれるのがいいですね。あ、でも『雲仙市や島原半島を盛り上げたい!』みたいな想いはあまりないんです。よく『地域を盛り上げてエライね!』とも言ってもらえるんですが、それはあまり意識してないというか(笑)単純に面白いんです。

地元だから僕とクライアントの言葉だけじゃない、地域の空気感だったり、その環境も含めたインスピレーションがもらえるというか。地元のデザイナーが地元のクライアントを担当するからいいアウトプットを出せてると思っています。あと人口減少については確かに人口は減るんでしょうけど、そもそも僕のクライアント数は独立してからの3年間を合計しても50くらいなので、まだまだ伸びしろがあると思っています。毎年、ご紹介でお仕事が増えていてリピーターも多いので、人口が減っても当面のところはあまり心配してないですね。もちろん何十年先とかになるとわからないですけど、それはもうしょうがないですよ。楽観的な性格なのかもしれないですけど、あまり考えないようにしています。

ー独立してからを振り返るとしたら、ここまでにはどんな苦労がありましたか?

城谷さんが地盤を作ってくれていたこともあるので、もしかすると他の地域よりはマシなのかもしれませんが、最初はなかなか仕事が見つかりにくかったです。 クリエイティブ関係だとどの地域でもある話かもしれませんが、デザインのような無形のものにお金を出してもらいにくいというか。特に僕の場合はヒアリングのところに多くの時間を使っているので、その部分の価値を理解していただくのは工夫しましたね。最初に詳しく説明もしますし、請求書でも『制作費』っていう一文じゃなくて、ヒアリングの部分も含めた内訳を細かく書くようにしています。ヒアリングも大半は雑談が多いので、それが無駄な時間ではなくて、あのときの雑談からこのアイデアが浮かんだんですよみたいな話もしますね。

県外にはあまり出ない。それよりも地元でじっくりと。

ークリエイティブの業界だと都会との繋がりも重要だと思うのですが、県外の繋がりや情報収集はどのようにされていますか?

それがほとんど外に出ないんですよ(笑)『こんなイベントが東京であるから行こうよ!』って誘われることもあるんですが、ほとんど行かないですね。県外に行くと交通費だったりいろんなお金がかかるので、そのお金があるんだったら地元の人との繋がりに使いたいというか。県外の繋がりがどれくらい自分のためになるのかあんまりわからないんですよね。もちろん東京のお仕事はこないんですが、地元のお仕事だけでもいまのところは十分なので、これでもいいのかなと考えています。大きな拡大を目指しているわけでもないので。情報収集は人の繋がりというよりもほとんどネットですね。本を読むのも好きなので、美術系の専門書とかをよく読んでます。

INACOME

あと、新しい案件が始まるときにはその業界のことを本を読んだりしてインプットするんですけど、クライアントのジャンルが幅広いので、それでもかなり視野が広がってる感覚はありますね。何を目指すかは人それぞれですし、他の人にもオススメするとかではありませんが、僕の場合は県外の繋がりを広げるよりも、地元できっちり仕事を進めていくことに時間やお金を使っていきたいです。

執筆者:小幡和輝 公式HP

協力 ローカルクリエイターラボ

募集情報