地方で起業!熊本県人吉市と世界がつながるビジネスモデルとは

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熊本県人吉市にある株式会社システムフォレストは2004年2月に設立された、九州を中心にクラウドサービスの構築・提案で新しい価値や働き方を創造する企業だ。人吉市で創業した富山さんは、最初は特に強い思い入れがあるわけではない土地だったが、今では地域に貢献したいと思うようになったそうだ。富山さんをそう思わせる九州の魅力について伺った。

一大ソフトウエア集積地を作りたかった

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ー最初の創業をなぜ人吉市でしようと考えたのですか?

富山)特に強い思い入れはなかったんです。もともとはエンジニアでした。福岡の大学を出たあと、熊本に戻ってきて、約8年間サラリーマンをしました。30歳になるのを機に帰ってこないかと誘われて、若い人がやっていたインフラ系のベンチャーにジョイントする形で戻ってきたんです。1年半ほど働いたんですが、ビジネスに対する考え方の違いで、一旦離れようと判断し次のキャリアを考えました。その当時は起業のハードルが高かったので起業という選択肢はなかったんです。小泉内閣の政策で起業のハードルが下がったとき、「ああ、会社って作れるんだ」と思って起業しました。今さら都会に出ることは考えられなかったので、田舎でできることを考えようと。そこで田舎でできるシステム開発をやろうと決めました。

でも、その当時はブロードバンドがなく、自宅のある郡部はISDNしかない状況でした。それで本社をどこに置くのかの選択肢が人吉市しかなかったんです。創業当時の事務所は商工会議所を借りたり、安い事務所を借りたりして仕事をしていました。当時好調だった半導体の製造工場が地元にあり、そこのシステム情報部門の請負から始めました。できれば田舎に帰ってきた優秀な人を採用してシリコンバレーみたいなものをつくりたかったんですけど、なかなかそういう人に巡り合えなくてむずかしかったんです。地域の企業のHPを請け負ったり、メーカーの下請けをやったりして2008年のリーマンショックまで細々とやっていました。

ーリーマンショックの影響は大きかったのですか?

リーマンショックのあとは、メーカーからの仕事がなくなってしまい、収入は0になりました。このまま田舎で需要を生み出すのは難しいと決断して、生産(製造)はここでやるけれど、営業は熊本市でやろうと決めました。でも、熊本市は縁もゆかりもない土地なので、チラシ配りなど、ローラー活動を毎日やってお客さんを獲得していきました。その後、時代の流れで、ちょうどクラウドとかブロードバンドとかが騒がれ始めました。地方は東京から2、3年遅れて波がくるはずと目を付けたら、それが当たったんです。セールスフォースなどのクラウドサービスを担いで、大手のお客さんに対してコンサルティングと開発を始めました。営業したりサポートしたりは福岡や熊本で行い、バックヤードやコアな開発は人吉市で、という組織運営をすることにしました。

時代でツールも変わるけど、使うのが人間ということは変わらない

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イベントに登壇する富山社長

ー都会にあるものが数年遅れで地方にくるという先見の明。その中で「これだ!」と勝機を見出す決め手になったものはありますか?

企業向けのビジネスをやっているので、お客さんの困りごとはビジネス上にあります。売り上げを上げたい、生産性を上げたい、人材不足の解消とかに刺さるものが必要です。うちはITをやっている会社なので、ITを使った解決方法しか提案できない。そんな中でクラウドは短期間で運用できるし、場所も問いません。例えば、会社の営業の仕組み自体を変えます。毎日、日報は帰社しなくても出先でスマホを使って済ませられる。AIやIoTが普及してきましたが、わたしたちはお客様の困りごとを解決し続けるというスタンスです。

クラウドサービスは定額料金を払って使い続けるというビジネスモデルなので、お金を払い続けていただくことが大事。使って便利だとか、使っていて楽しいとかではなく、それを使うことで生産性が上がったとか、売り上げが上がったとかの図式が出来上がってこないと、どんなに素晴らしいサービスでも導入されない。そこをわれわれの会社のミッションにしています。

社長も社員をリスペクトしないとうまくいかない

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朝礼の様子

ー地方での起業は人材確保が難しいとうかがいました。そんな中で、人材をどう育成しているのですか?

優秀な人だと思う人を入れて育てあげても、辞めてしまう環境であれば意味はありません。会社自体に魅力がないと、応募してきてくれないと考えています。うちは熊本県認定の「ブライト企業(企業の労働力確保、労働者の県内就職促進のため、従業員の労働環境や処遇向上に優れた取組みを行う企業)」として第一期の認定を受けました。ITはわれわれだけでした。

お墨付きをもらったので、ブランド力がぐっと上がりました。大手の就職活動イベントにお金をかけてやるより、背伸びしなくても身の丈にあったやり方でやることにしました。熊本大学など、各学校で説明会などもしてきたので今は、応募がくるようになっています。ブライト企業に選ばれたことで、中身も変わらないといけない。良い会社にならないといけないと思い、女性の働く環境への制度などにも力をいれています。会社を創業した人には、想いがみんなあるはず。うちは、地域に貢献したいと思うようになって、会社のミッションになってきました。それを繰り返し話すことで、社員にも刷り込まれていく。それがブランドになっていくと思います。

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熊本県ブライト企業受賞の様子

ー起業家さんならではのパッション、原動力はなんですか?

起業したのは正直、生きるためです。大げさなビジョンもなく起業してみた結果、苦労はしましたが、いろんな人と知り合うことができました。そんな中で自分の役割はこうなのか、と気づきはじめました。創業者は過去の歴史をひきずらなくてもいいので、ある意味代々受け継いでこられた会社の社長より楽かもしれません。創業者の言うことは社員にとっては全部正解なので。創業者はそこが強みです。

でも、いつまでも自分がトップランナーでいてはいけないと考えています。若い人を育てていかないと。若い人を育てなければ、地域は育たないと思います。若い人が頑張っていると協力したいと思います。矢面には私が立つので、若い人が自由にやれるような環境を作ってあげたいと考えています。自分たちがそうすることで、次の世代はちゃんと見ていてくれて、同じようにやってくれる。

ー大事にしている考え方・軸はなんですか?

やっぱり人です。人がやっている商売なので。社員は社長をリスペクトするけれど、社長も社員をリスペクトしないとうまくいかない。それを伝えられていないと会社はうまくいかない。そういう関係が1対1でうまくいくと、まわりにもいいものが伝染していくと思います。「よくやったね」とほめる言葉があるかどうかでモチベーションが変わります。会話は大事です。お客さんとの付き合いもそうです。お客さんの声を直接聞き、こっちが引っ張っていかないといけないんです。そこを疎かにしてはいけないと思っています。

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地方ならではのグリップ力があるから、九州にこだわりたい

ー人吉だから困っていることはなんですか?

販路の問題ですかね。若手が商売をやりたいと相談してきてくれるのですが、人吉だけで簡潔するビジネスモデルはうまくいかないんです。大きなことをやりたいときは、うちでもそう、人吉だけをみていてはいけない。市場をどうとらえるかが難しいんですよね。「人吉シャツモデル」と勝手に呼んでいるのですが、「人吉シャツ」というシャツはブランディングをしっかりしていて、製造を人吉でやっていますが、都会で営業して販売しています。地方で生産して、営業活動を都会でやるのが地方に合っていると思います。ということは経営者がちゃんと営業できないといけないと考えています。でないとビジネスは成り立ちません。

ー今後の展開は中核都市や大都市に営業をかけていくのですか?

これまで通り地方でやろうと思っています。東京や大阪で勝負しても意味がないと考えています。地方ならではのグリップ力というか、そういう関係があるので、九州にこだわりたい。今は、新幹線で移動できる距離に絞ってやっています。これからは地方の時代になると思います。例えばIoTに関して言うと、東京はとても便利で喫緊の課題は少ないんです。でも、地方には農業の担い手不足や、山を見れば鳥獣被害など大きな課題がいっぱいあります。そこをやって地域に貢献したいと思っています。そのために大きいクライアントさんを維持しながら、地域でやっていけるようにしたいと考えています。

ー人吉での今後の課題は何でしょうか?

田舎で、人がいないことはありません。学校教育が足りないのではなく、企業の教育が足りていないので、人のスキルが上らない。そこを埋めてあげたいと思っています。我々が採用するなら、そのへんの教育もやらないといけないと考えています。みんなが儲かるために、どう教育をしていくのかが大事だと思っています。

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人吉ハッカソンの打ち上げの様子