農山漁村が活力を取り戻し、持続可能な発展を実現するためには、何よりもまず、雇用と所得を生み出すことが重要です。そのためには地方に多くの起業家が根付かせる必要があります。農山漁村の豊富な資源、やる気溢れる人材、資金を組み合わせ、同地域に新たなビジネスを生み出すことを目的とした『INACOMEビジネスコンテスト』。
2020年1月11日から東京、大阪、熊本、仙台での予選大会が始まります!!今回は前年度優勝者、酒井裕司さんにお話を伺いました!
農業経験ゼロからの転身!〜わら細工に携わるきっかけ〜
助っ人編集部
本日はよろしくお願い致します!まずは、酒井さんが現在行われている事業について、教えてください。
酒井 裕司
よろしくお願い致します。現在、合同会社南信州米俵保存会の経営者として、わらを用いたビジネスを展開しています。主にわら細工の制作・販売を行なっています。具体的には、米俵やねこつぐら(下画像)、最近では大相撲の土俵の俵の製作も行なっています
ねこつぐら:稲わらを編んで作った猫用の寝床の一種
助っ人編集部
元々、わら細工の職人さんだったのですか?
酒井 裕司
元々は精肉店でサラリーマンとして働いていたんです(笑)なので、それまで、農業経験は全くありませんでした。
助っ人編集部
経験0の業界で起業されたのですね!きっかけは何だったのですか?
酒井 裕司
2013年から毎年長野県飯島町で行われている『米俵マラソン』という町おこしイベントがあるのですが、それを企画したのがそもそものきっかけでした。
助っ人編集部
『米俵マラソン』の様子
助っ人編集部
ものすごく斬新なイベントですね(笑)
酒井 裕司
企画を発表した時から、反響が凄かったです。『米俵マラソン』を行うにはまずは米俵が必要なので米農家さんを訪ねたんです。単純に米農家さんなら米俵を作っているだろうと考えていたのですが、実際に話を聞いてみたところ、米俵を作れる人自体がいないと言われてしまいました。これには、非常に驚きましたね。
助っ人編集部
米農家さんですら作り方を知らないのですね!
酒井 裕司
なんとかして米俵を確保しなければと、次にwebで検索してみたのですが、予算よりも遥かに高額で… そんな時にたまたま、知り合いから米俵の職人さんを紹介してもらったんです。もういっそ自分で作った方が良いのではないかと思い、その方に弟子入りして1ヶ月間、わら細工の修業をすることになりました。 実際にわら細工を始めて見ると、これがすごく面白くて(笑)
助っ人編集部
その時、わら細工の魅力に気づかれたのですね。
酒井 裕司
そうです。しかも、その職人さんには後継者がいませんでした。「俺が死んだら、この技術は終わるな」という言葉を聞いた時に、「だったら自分が引き継がなければ!」と強く思いました。その後、無事米俵マラソンを開催することができました。マスコミにも取り上げられるほどの大反響で、わら細工は町おこしに使えるぞ!と確信したんです。 そこでまず、わら細工のサークルを立ち上げ、伝承活動を始めることにしました。
助っ人編集部
素晴らしい行動力です!
酒井 裕司
ただ、趣味感覚でやっていると技術の上達が遅く、仲間もあまり増えないことに気づきました。でも、日本最古と呼べるほどの歴史を持ち、全国的にも需要があるわら細工の技術をここで途絶えさせるわけにはいかない。後世に技術を残すにはどうしたらいいのかと考えた時に、わら細工をビジネスにすることが必要だと思い、起業を決意しました。
知られざるわら細工の需要!大相撲からのオファーも!
助っ人編集部
ビジネスとしてわら細工をやっていくのは難しいのではないかと思うのですが、実際にやってみていかがでしたか?
酒井 裕司
もちろん、最初は注文が0でした。ただ、時間だけは膨大にあったので、その期間はひたすら米俵やねこつぐらなどを作り続けて、在庫の確保と技術の向上に努めました。そうしていく内に、わらいずみと言う、おひつを作れるようになったのですが、全国で需要があるにも関わらず、それを作れる職人が自分含めて日本に3人しかいなかったんですよ。そのため、全国各地から注文をいただけるようになりました。
わらいずみ
助っ人編集部
わら細工の職人さんってそんなに少ないのですね!
酒井 裕司
そうなんです。しかも、わら細工の職人って中心年齢が80~90歳とかなり高齢なんですよ。 更にわら細工をはじめる年齢も高くて、定年を過ぎてからと言う方が多いんです。なので、60代でも新人なんです。 そんな背景もあって、そもそも人が集まりにくい業界だったんです。そんな中で当時30代だった自分は異例な存在で(笑) 若年層がいないと言うことは、ビジネス的にライバルがいないのではとの考えもあって、起業に踏み切れたんです。
助っ人編集部
わら細工業界の中ではスーパールーキーだったんですね。大相撲の土俵の俵も作られているとおっしゃっていましたが、こちらのきっかけはなんだったんですか?
酒井 裕司
大相撲の仕事は、元々親子二代で57年間作っていた職人さんがいらっしゃったのですが、二代目が去年病気で倒れてしまって… そこで僕に依頼がきたのがきっかけです。それまでにわら細工の技術もある程度蓄積されていたので、1ヶ月で俵作りにも慣れることができました。現在、大相撲の本場所の6場所に納品させていただいてます。
助っ人編集部
すごいご縁ですね!
酒井 裕司
そうですね。 大相撲の土俵を作っていると言うと周りの反応もかなり良くて。とてもありがたいことですよね。
INACOMEビジネスコンテスト優勝を通じて変わったこと
助っ人編集部
INACOMEビジネスコンテストに応募したきっかけは何だったのですか?
酒井 裕司
Facebookでたまたま募集を目にしたことがきっかけです。 それまでにも、ビジネスコンテスト自体は何度か出場していて、県の大会では県知事賞をもらえたりと、ビジネスプランの内容に自信があったんです。そこで、地方の大会だけでなく、全国規模の大会でも好成績を残せれば、いよいよ本物として認められるかなと思い、参加を決意しました。
助っ人編集部
INACOMEビジネスコンテストで優勝した後、どういった反響がありましたか?
酒井 裕司
私は下伊那郡がもともとの出身で、今住んでいる上伊那郡に移住してきた身なんですよ。地元の人からしたら、いきなり見ず知らずの人が町おこしだ起業だと言い出すわけですから、結構白い目で見られたんです。
助っ人編集部
地方では出る杭は打たれるというお話をよく聞きます…
酒井 裕司
そうなんですよね… でも、INACOMEで優勝したことで風向き大きく変わりましたね。 まず、優勝後に新聞の一面に掲載していただいたのは大きかったです。しかも、地方紙だけでなく、全国紙にも掲載していただいたんです。 農林水産省主催のビジネスコンテストで優勝したことと、大相撲の土俵を作っているということで、信頼を勝ち得ることができたと感じています。そんな効果もあって、注文も急増しました。これまでは話を聞いてくれなかった営業先の人も、ビジコンに優勝したことを言うと、話を聞いてくれることが多くなりました。
助っ人編集部
ビジコン優勝が事業価値の証明になったのですね。
わら細工×リモートワーク!地方の雇用創出へ新しい一歩
助っ人編集部
ビジコン優勝を経て、事業に変化はありましたか?
酒井 裕司
新しく、相撲がらみのブランド米を作ろうと考えています。相撲だと、土がつくという言葉は負けを指しますので、土がつかずに立ったまま育った稲を「勝ち米」と縁起のいいものとして売り出そうかなと考えています。
助っ人編集部
新しく動き始めているわけですね。
酒井 裕司
これから、高齢化・過疎化の影響で地方に耕作放棄地が増えてくると思うんですよ。でも、私たちの事業を通じて、米作りがちゃんと儲かるんだと言うことが周知されれば、人が集まり、地方も賑わうのではないかと考えています。そして、米作りができない冬場の仕事として、わら細工をすれば、プラスアルファの収入を得ることもできますし、米農家とわら細工はそもそも1つだったので、その形を取り戻したいです。
助っ人編集部
社会問題の解決にも繋がる!良いことづくしですね。
酒井 裕司
最近、中国の方からの問い合わせも来始めていて、世界販売にも向けても積極的に動こうと考えています。日本国内のみならず、世界に伝統技術を発信していくことで、地域の雇用創出につながればと思っています。
助っ人編集部
ちなみに、未経験の人でも、わら細工を仕事にしようと思ったらできますか?
酒井 裕司
まずは1ヶ月修業を積めば、簡単なものは製作できるようになります。それに、わら細工は内職的な性質を持っているので、自宅でもできるんですよ。僕は、通勤が無駄だと思っていて、その時間を使って1つでも多くわら細工を作りたいと考えています。 なので、僕も含めて、うちの職人さんたちは基本的に自宅で作業するようにしています。中には、月一回しか会わない人もいますよ(笑)
助っ人編集部
伝統技術でリモートワークができると言うことですね!現在何人くらいの職人さんがいらっしゃるんですか?
酒井 裕司
現在、10名の職人にメインで働いてもらっています。年代も10代から70代まで様々ですね。こんなにわら細工の職人がいるのは全国的に見てもここだけだと思います。 わら細工は、好きな時間に好きなペースで働けるので、対人関係が苦手な方や社会的に弱い立場にいる方たちの雇用創出にも役立てると考えています。現在、障害を持った方の就労施設にわら細工の仕事を卸したりもしています。
わら細工職人の作業風景
助っ人編集部
雇用問題の解決にも役立つのですね!
酒井 裕司
あとは、わら細工を伝統工芸品に認定してもらう活動を通して、わら細工の職人が国家資格になることを目指しています。資格ができれば、職人さんはプライドを持って働くことができるし、産業として認められることにもなるので、農家さんも稼げるようになる。わら細工を通して、地域を活性化させることができるんです。
地方で事業をする課題!周囲との関係性
助っ人編集部
地方で事業をする上で課題に感じていることはありますか?
酒井 裕司
1つは、変わったことをする人に対して、周囲の人の風当たりが強いことですね。地方の方々は横のつながりを重視する村社会的な傾向があります。 そのため、新しく事業を始める人が現れると、出る杭は打たれるじゃないですけど、周りの人からとやかく言われることになります。しかし、一度認められると反応が180度変わります。ここに関しては信念を持ってやるしかないです。いかに周囲の方に理解してもらうかが重要です。
助っ人編集部
周囲の方々の理解が不可欠なのですね。
酒井 裕司
もう1つはお金の問題です。地方の方は、仕事について保守的な価値観があるんですよ。いまだに、役場や名の通っている会社に入ることだけがエリートコースだと思っている方が多いです。 また、銀行からはなかなか融資がおりにくいのは事実です。地銀は新しいこと・前例がないことに対して厳しい印象があります。ただ、きちんとその事業の価値が認められれば、その地方の企業から出資していただけることがあります。 僕もビジネスコンテストをきっかけに地元の企業さんから支援を受けることができました。
助っ人編集部
やはり、金銭面は厳しいんですね。それでも、酒井さんが事業を続けた理由は何ですか?
酒井 裕司
このままだと街がなくなるという危機感を誰よりも持っていたからです。地元の人は誰かがやってくれるだろうと、なかなか自分では動き出さない人が多いです。それに、自分一人だけでやるわけではなく、みんなでやってけばなんとかなると信じていたからです。
今後の動き!誰も到達していないところを目指して!
助っ人編集部
今後はどのように事業を展開していく予定ですか?
酒井 裕司
今後も伝承活動を続けていくには、とにかく組織を拡大しなければと考えています。 しかし、自分はどちらかと言うと人情で動く製作者側の人間なので、大きな組織の舵取りは苦手でした。それに加えて、大相撲関係の依頼は責任重大なので、自分たち側の都合で断ることができない。ならば、営業や経理などをしっかりと分業化すれば良いと考え、来年からは、ちゃんと経理などがわかる人を社長として迎えて、株式会社化することになりました。こんなに人生が動くことは今までなかったので、2020年は飛躍の年にしたいです。
助っ人編集部
これまでもそうでしたが、行動力がすごいです!今後の目標は何ですか?
酒井 裕司
まずはとにかく売り上げを出すことですね。わら細工にこんなに需要があるんだってことを証明しなくちゃいけないので。規模を拡大していくには、わら集めの仕組みづくりから、設備投資まで、社員全員の頭脳を駆使する必要があります。 最終的には年商10億円を目指しています。わら細工で10億円は誰も到達したことがないのですが、仕組みさえできれば、それは実現できると確信しています。
助っ人編集部
最後に、本年度のINACOMEビジネスコンテスト挑戦者へのアドバイスやメッセージをお願いします!
酒井 裕司
事業を起こして、現在の取り組みに至った経緯、今後飛躍するポイントなど、自分のストーリーをしっかりと伝えることが大切だと僕は考えています。 お金儲けだけでビジネスをやっている人からはみんな離れて行きます。なによりも自分の思いに共感してもらえる仲間を作っていくことが大切です。僕は優勝することがゴールなのではなく、むしろ優勝してからが始まりだと思うんです。優勝すると、劇的に環境が変わります。色々なチャンスも巡ってきますので、それをどう活かすかが重要です。ちなみに、実は今年も新しいビジネスプランで出場するつもりでした(笑)
INACOMEビジネスコンテスト優勝時の酒井さん
助っ人編集部
では、来年度のご参加お待ちしております。本日はありがとうございました!
INACOMEビジネスコンテスト、今年も開催!
農林水産省が「地方にIncomeをもたらし、起業家自身もIncomeを得られるような継続的なビジネスを支援したい」という思いを込めた、ローカル起業促進プラットフォーム【INACOMEイナカム】。 全国の農山漁村地域における起業者の交流と切磋琢磨を目的としたビジネスコンテストを東京・大阪・熊本・仙台の全国4カ所で開催いたします!地方で頑張る起業家たちの雄志を、是非その目に焼き付けてください!
『INACOMEビジネスコンテスト』観覧希望の方はこちら