INACOMEでは、ビジネスモデルからは把握しづらい起業者の想いやビジョンを広く知っていただくために、INACOME参加起業者のインタビュー記事を掲載します。今回は、令和3年度INACOMEビジネスコンテストにおいて、「各産地の師匠の栽培指導をカルテ化し、オンラインで若手農業者へつなぐ」と題してプレゼンし、最優秀賞を受賞した株式会社INGEN代表取締役の櫻井杏子さんにお話を伺いました。櫻井さんは栽培指導をカルテ化・オンライン化するIT「農の相棒Mr.カルテ」を開発しています。
■病害虫や生育不良を発生させない環境づくり
-事業を立ち上げたきっかけについて教えてください。
実家は農業系の一家で、在校中には、植物工場などの農業ITが注目されていた時期だったので、大学で学んだことを農家に話したところ「それ初期コストがかかって、あんまり積極的になれないよね」と言われることが多く、もう少し農家に寄り添ったサービスは何だろうかと、調べ始めたのがきっかけです。在学時に、当時最新の農業ITを導入している農家に取材して気付いたのが、ITそのものに興味があるというよりは、どのように栽培を安定させるか、どのように病害を出さないようにするかといった「栽培技術の情報」にニーズがあることが分かってきて、「栽培技術の情報」をどうすれば農家に提供できるだろうかと思って、会社を立ち上げました。
-病害虫によって農作物はどのぐらい被害を受けるのでしょうか。
農薬工業会の統計データでは、農薬を使わないと約6割の収量が減少すると言われています。ベテランの農家ほど考えているキーワードが「病害虫・生育不良を発生させないように育てる」ということ。いかに発生させない環境を作るかを工夫することが栽培技術だと思っています。IPM(※)をはじめ品質管理や施肥の改善など、総合的な栽培技術を提供していきたいと考えています。
※総合的病害虫・雑草管理(IPM:Integrated Pest Management)病害虫の発生状況に応じて、天敵(生物的防除)や粘着板(物理的防除)等の防除方法を適切に組み合わせ、環境への負荷を低減しつつ、病害虫の発生を抑制する防除技術
-今まではベテラン農家が試行錯誤しながら病害虫を予防していましたが、それをシステム化できないかと考えたのでしょうか。
はい、病害虫というと今までは農薬のデータを中心としていました。しかし、カルテには、IPMの考えを取り入れているので、農薬だけでなく、生育に合わせて必要な作業である、農薬、施肥、潅水、その他管理作業の4つの情報すべてが含まれるように構成されています。
-最初は農家にITがなじんでいなかったとのことですが、現場に浸透していない一番の理由は何だと思いますか。
データを入力できる「ツール」や「プラットフォーム」だけを提供していたからではないでしょうか。当社では、カルテというツールを提供しつつ、コンテンツも提供しようと考えています。コンテンツとは具体的に「良い資材」と「良い先生」だと思っています。良い肥料単品だけではだめで、先生による使用法の指導があって初めて良い資材がつながってくるので、栽培指導と指導を通じてできた「処方箋(※)」を元に、良い資材を提供するという一貫したコンテンツを提供したいと考えています。
※畑の体質に合わせ病害予防戦略・資材の組合せ・使い方など総合的なスケジュールの設計や病害虫発生時の対処法
■現場を回って情報収集
-ベテラン農家とのつながりは学生時代からあったのでしょうか。
起業してからです。私自身が肥料の窓口サービスをやっていて、起業してから2年くらいは、病害虫やIPMのニーズを知るため、飛び込みで農家を1,000軒ぐらい回りました。そうすることでつながりを作っていきました。
-1,000軒の農家を回ったとのことですが、まずは現場を回るとの思いで実践したのでしょうか。
「慢性的な病害、生育不良で肥料の組合せなど困っていませんか?」という感じで回りました。仲良くなった農家には、「今使っているITはありますか?」とか「(使っているのであれば)改善点はありますか?」などを聞いて回りました。
-農業者でITを導入している方はどの程度いましたか。
施設栽培は導入が進んでいましたが、回った当時は露地でITを使う方はあまりいませんでした。無料キャンペーンで利用しているけど、有料になったら使わないと言う方も多くいました。
■カルテを使ったオンライン指導を実現
-カルテの指導者にはどのような分野の方が登録されていますか。
大きく分けて2通りいて、一つは、栽培現場で何年もイチゴやトマトなどを育ててきたベテランの個人の農業者です。後継者を育てていきたいという意欲がある方々で、本業もあるので継続的に生徒を育てる方法を模索していて、当社は対価を自然な形で得るような仕組みを提案しています。
もう一つは、肥料メーカーの方々で、今までのように単品で商品を売り込むだけではなく、多様化する農業者のニーズに応えるため栽培のソリューションも提案していきたいと考えている方が増えてきています。その中でも、栽培指導を手厚くしていきたいような方々が中心に登録しています。
-対象となる作物や対象者に条件はありますか。
カルテ自身はどんな作物にも対応しています。好まれる傾向としては栽培期間が長い作物ですね。果菜類、果樹、露地野菜、特に冬作物が中心です。栽培期間が長いものは、一度病害を出してしまうと、最悪の場合、その後の長い期間、収穫がなくなってしまうため、まめな管理が大事になります。
-事業エリアを教えてください。
起業当初は関東中心でしたが、今は産地中心に回っています。果菜類や果樹の産地に伺うことが多いです。
-指導者側も対価を受け取って指導するわけですが、評判はどうですか。
ちょうど感想を頂いたところです。「運営者は(カルテを)使えるけど、現場のパートには使えない」という声がありました。意図をお聞きすると、「良い栽培計画を立てたのに、実際に実行したかどうかが分からない」という声が多く、それが栽培指導のネックになっています。
対価を受け取る分、指導者側も熱心に教えることが多いからこそのご意見だと思いました。私も栽培指導を行いますが、様子をうかがうと「苗の調子が悪く、実際は提案した散布を忙しくて行っていなかった」ということがあります。状況が見えない中で指導すると、お互いにトラブルになるので、その辺を見える化するため、最後に触るパートにも使いやすくなるように改修中です。
-カルテは自治体からの依頼には対応していますか。
間接的に自治体が参加した例はあります。民間企業や異業種参入したところから声がかかって、行ってみたら先生の立場がJAの方だったり県職員だったりという事例が多いです。できれば今年は、そういう事例を資料にまとめて自治体に紹介して横展開をしていきたいと思っています。各地のJAも興味を持っていますが、営農指導と物販が切り離されているところもあるので、そこをどう連動させるかというカタチを相談しながら、当社から提案していくことができれば進んでいくと思います。そういった意味でも、本当は使いたいけど、どうしようかなと迷っている自治体がどのようにすれば使えるようになるかヒアリングしてみたいです。
-コロナの影響はありましたか。
初回訪問できないことはありますが、むしろ追い風だと思っています。今はリモートが当たり前になってきているので、負担が大きかった営農指導員も、これをきっかけに少しリモートを導入してみようという方が増えています。今までは、オンラインで情報提供するのは危ないのではないかという漠然とした不安がありましたが、実際コロナ禍になってリモートを経験してみて、「なんだそんなことないじゃん」となってきた中で、このオンライン指導のサービスをやっているのでちょうど良い機会だと思っています。
-リモートで全国各地の農家とやりとりしているのでしょうか。
農家のところに直接行くこともあります。今力を入れているのは指導者になりそうな方々の募集なので、先生や営農指導部、民間の肥料業者などを回っています。若手の新規就農者の生産グループに混ぜてもらうことも多いです。
■株式会社「INGEN」について
-気になっていたのですが、社名の「INGEN」の由来は何でしょうか。
凝り過ぎちゃってオタクっぽいのですが(笑)、隠元和尚からとっていて、野菜を持ってきた和尚さんだからというのと、座禅系の宗派の整理をするために江戸幕府から呼ばれたという逸話を聞いて、いろんな農法が世の中にあふれている現代に、農家がどれを選択すればよいか分からなくなっているので、農法を整理する立場になれたらなという想いでつけました
-チームメンバーのつながりは。
営業メンバーは私がカルテを販売していた同じ農家のところにハウス資材を売っていた関係でつながりました。あとは大学園芸学部の同窓生もいます。
-カルテのほかに、「ファムサポ」や「ファムズキッチン」という事業も手がけていますが、どのような取組ですか。
当社の使命は、農家が高品質な農産物をしっかり安定流通できるようになることだと思っています。そのために栽培技術の底上げをしていくことが必要で、そのツールとしてカルテがあるという位置づけです。カルテを活用して栽培していく中で、様々な栽培計画の見直しが生じて、肥料の見直しや農薬の見直しが出てきます。その場合、指導者が肥料メーカーならよいのですが、ベテラン農家が指導者だった場合、資材の手配まではできないので、最適な肥料を提案できる「ファムサポ」事業が絡んできます。
また、農家にとって、最初の出荷実績を作るとっかかりを作ることができないかと考えましたが、本業がある中で、なかなか農家だけでは知名度を上げる活動はできません。そこで、農産加工のサポートなどのブランディングのお手伝いをするのが「ファムズキッチン」事業です。ただし、事業の中心はあくまでもオンラインカルテで、それに付随するような形でファムサポとファムズキッチンが付いているような感じです。
-イナカムビジネスコンテストに出場して変化や反響はありましたか。
まだ小さい会社なので、(カルテを)使ってみたいけどどうなのかなと様子見している方が多いです。しかし、農水省の賞を受賞したと言うと安心感を持っていただけるようで、これから春に向けて提案先を増やしていくつもりなので、最初に話を聞いてもらう際に(農水省の賞を受賞したことを)話せるのはありがたいです。外回りをしていて、農業参入された会社は上手くいっていないことが多く、理由として、良い設備はあってもしっかりした指導が受けられていないということがありました。その課題を聞きながら提案していく中で、興味を持ってくれる会社もあります。
異業種参入した会社の周りにも様々な業者が集まってきていますが、どうしても断片的な情報になりがちです。肥料屋なら肥料だけ、農薬屋なら農薬だけで、種まきから収穫まで一貫して指導する方がなかなか見つからないのが課題と思っています。個人のベテラン農家をつなぐのは、そこが一番大きな理由で、栽培経験のある方は1から10まで一通り知っています。そういった方々の指導を受けてほしいのですが、指導者も本業があるのでカルテを使ってオンラインで負担なく指導してもらえる環境を作るとか、ある程度有料で指導者にお金で返す仕組みづくりが必要だと感じています。
-今後、どのような方をビジネスパートナーとしたいと考えていますか。
まずは、いい先生といい資材を提供できる方。具体的にはベテランの農業者・普及員OB、優れた指導経験を持つ普及員OBや肥料商そのもの。そして、バイオスティミュラント(※1)はじめいい資材を指導とセットで提供したいと考えるメーカーさん。そして、新規就農者に対して施設等を提案できる方ですね。例えばビニールハウスのメーカーや、最近では農業人材派遣の企業ですね。モノは提案できても、その後の運用方法までは提案できないという企業と組むのが一案だと思っています。
先日、農水省から農業支援サービス事業(※2)を紹介してもらって、当社も掲載しました。新規就農する方々に直接こういうサービスがあるよというのを提案していければいいなと思います。当社のサービスは、新規就農者だけが嬉しいサービスではなく、ベテラン農家にとっては副業となったり、産地にとっては後継者を効率的に増やしたりといったツールになるので、地域ごとの勉強会などにも参加していきたいです。
※1植物の生育を促進し、病害に対する抵抗性を向上する農業資材
※2農水省HP:https://www.maff.go.jp/j/seisan/sien/sizai/service.html
■日本人は農業に向いている!
-先日のイナカムのイベントでは、「日本人はオタクが多いので農業に向いている」と言っていましたが(笑)
そうですね(笑)。日本は人件費も高いし、単純な大量生産には向いていないと思っていて、農産物の値段だけで外国産と勝負するとどうしても生き残れない。農家の元々の気質として、職人技で美味しくするにはどうしようというところに目が向いていて、そこは特徴として伸ばしつつ、後回しになりがちな病害や生理障害などを発生させないという点をサポートしていきたいです。高品質に作れても1ヶ月のうち1日だけしか収穫できなかったら大口の出荷先との契約は取れないので、高品質な農作物が毎日採れる状態に持っていきたいです。
農家の皆さんはオタクなので本当に面白い (笑)。いろいろな農法をやっている方が多いんですよ。それを後継者に口で伝えて10年かかるということがないように、オンラインカルテに残して継承していきたいです。
-いろいろ試行錯誤して良いものを作るというのは日本人の特質なんですかね。
そう思います(笑)。
-最後に、これから農業を目指す方に一言お願いします。
あるベテラン農家の受け売りですが、まずは基本を押さえることを意識した方が増えてほしいですね。今は、ネットでいろいろと調べられるので、高品質のものを作ろうとして、いきなり高度な上級者向けテクニックにチャレンジしても、肥料、農薬などの基本的な管理を押さえられずに生産を安定させるところが抜けがちになる方が多いと感じています。味を磨くことに注力しつつも、畑・苗の状態を健康に保つ「基本」をチェックできるような体制にできればと思います。当社としても、カルテが基本の部分をしっかりサポートできる役割を担えるようにしていきたいです。
いかがだったでしょうか。INACOMEでは、櫻井さんのように、地域課題を解決するために新たなチャレンジをする方々を応援しています!