地域で活躍する多様な起業家を特集するこの企画。岐阜県垂井町出身で2015年に地元に帰って仕事をすることになった太田佳祐さん。しかし、垂井町は目立った特産物や地場産業のない、かつては田畑が広がった地域でした。そんな中、地元を盛り上げていこうと地元を売り出していくことができるものづくりを始めた太田さん。太田さんの関わるFUWAは特産物や地場産業がなかった岐阜県垂井町で誕生した新たな地域ブランドです。その立ち上げにかけた想いやFUWAができるまでのお話を伺いました。

キャリア教育から地方議員に
―太田さんのこれまでのキャリアを聞かせてください。
太田)大学卒業後は東京や大阪で会社員をしていました。社会に出るにあたって、キャリア教育に関わりたいという想いが強く、キャリア教育をやる会社に新卒で入社し、楽しく社会人をやっていました。
―なぜキャリア教育の道を選んだのですか?
大学時代は不真面目な学生で、3年の前期が終わったところで単位が35しかなかったんです。当然、授業を面白いと感じたことは滅多になかったのですが、3年次にキャリア教育の授業でインターンシップに参加しました。勉強は面白くなかったけど、半年間のインターンシップは楽しく感じました。当時の僕は学歴コンプレックスが強かったのですが、仕事ができるできないは学歴は関係がないということを実感しました。インターンシップの中で賞をもらって、キャリア教育で生き方が変わりました。キャリアの世界は学歴など関係なく、実力が発揮できれば認めてもらえるんだということを実感したのです。なので、キャリア教育をやる会社に入りたかったのです。
―そんな中でどうして地元にUターンを?
地元で親戚が会社を経営していたのですが、男手がなく、手伝って欲しいという話になりました。そこでUターンをすることになりました。しかし、僕はその会社の直系家族ではなかったため、社長になることはできません。今は僕の従兄弟が社長をやっていて、僕は役員をやっています。さきほどもお話しましたが、僕はキャリア教育をやりたいという想いが強くありました。田舎の仕事を見てみると、大人が就いている仕事が都会とは全然違う。都会のほうが職種も多く、多様な働き方があります。でも、田舎の職種は限られている。そのせいで、子どもたちが知っている仕事、就きたい仕事も限られてきます。そこを是正したいなと思いました。
どうすればいいのか考えていた時に影響を受けたのが、当時岐阜の最年少市長だった美濃加茂市の市長です。そこで、「市長になればキャリア教育ができる!」と思ったんです。市長になれば町のあらゆる施策を自分で決定することができる。そのため、公共事業としてキャリア教育に関わることができると感じました。ただ、いきなり自分のふるさとの町長になるというのも難しいと感じました。そんな中で同じ政治家の議員でもできるだろうと思ったんです。しかもどうやら議員であれば兼業もできるらしい、ということで、町議会議員ができるならば、やりがいもありそうだし、都会のキャリアを捨ててもいいかなと思いました。そんな想いで、町議会議員を目指して地元にUターンをしたのです。

―どうしてFUWAを立ち上げようと思ったんですか?
町議会議員になって地元に戻ってきて、まず地元を盛り上げたいと思ったんです。地方創生と国も言い始めたころで、地域をPRしたいと思ったんですね。そこで、地元で何かを売り出していこうと考えたんですが、岐阜県垂井町には伝統産業がなくて…どうやって地域をPRしていこうか考えるところから始まりました。
ちょうどその頃、町議会でも、「うちの町でもふるさと納税をやろう!」という議論が起こっていました。でも垂井町は返礼品にするものがないよね、ということではちみつやパンなど、どこにでもあるものを返礼することになりました。たしかに、それは垂井町のものを使っていたし、そのような返礼品でもいいんですけど、伝統産業がないという弱さを実感させられたんです。そこで、伝統産業に匹敵するような地域を発信できるブランドを作りたいなと思いました。
―壮大ですね!
はい(笑)まずは、地方創生ってなんなんだろうって考えて、地方創生の事例を調べてみました。そうしたら、成功しているところってたいていは昔栄えていた産業を若い人が入って今風のデザインにして売っていることに気づいたんです。今治のタオルや燕三条の食器などがそうですよね。地方創生がうまくいっているとこは代々続く名産品があった地域ばかりなんです。でも、垂井町に昔あったものって、神社と殿様の領地と田畑ですからね。伝統産業などのコンテンツがある地域とない地域とでは地方創生の格差も広がるのかと思いました。だけど、だいたいどの土地にも歴史とか自然はあるんですよね。
その地域のオリジナルってそこなんじゃないかと気づいたんです。キーワードは「歴史」と「自然」だって。そこで、ものづくりをするプロセスや、どうしてこの形をしているのかを地域から発信できるツールがほしいと思い始めました。昔栄えていたものに頼るのではなく、地域の特徴をなにかの形にするものづくりをしようと思ったんです。そのためには、まずはこの町について知ることが重要だと思い、地名の由来やその地域に伝わる昔話のような、民話のようなものを調べました。そうして、この地域にしかないものを知っていったという感じです。その中から、プロダクションにできそうな要素を抽出して、商品化に移りました。
―「歴史」と「自然」からどのような商品が生まれたんですか?
垂井町が属する不破郡の歴史と自然を紐解いていく中で、二つの特徴を発見したんです。それは鉄と合戦です。そんな歴史を紐解いた中で、FUWAのカトラリーが生まれました。地元の公立図書館にはこのような地域の歴史が記された文献がたくさん残されています。そこで調べていく中で、垂井町には、壬申の乱や関ヶ原の合戦という歴史を左右した合戦が二度も繰り広げられた地だということがわかりました。そこから、金属製品や縁起物をテーマとしていこうということを決めました。垂井町の子どもたちは進学や就職などでこの地を一旦は離れる人がとても多いです。そんなことから、具体的に何をつくろうかとなったとき、贈答品としても使えるものである一方で、地元のことを思い、日常使いができる製品がいいな、ということでカトラリーを選びました。大切な人への贈り物に使ってもらえたらと思っています。
―商品化まではどのくらいの期間がかかったのですか?
1年くらいですね。めちゃめちゃ苦労しましたよ。ものづくり自体が初めてだったこともあるのですが、デザイナーさんがデザインしたものどおりの試作が出てこなかったり…。試作を作るのにこんなに時間がかかるんだと、とても勉強になりました。
―カトラリー自体は燕三条で作られているのですね。
本当は岐阜県内で作りたかったんです。岐阜県の関市は刃物を作っているので、カトラリーも作れるかなと思っていたのですが、食器を作ることができる業者って、日本にはあまりないことがわかったんです。生産会社は新潟の燕三条に集積しているので、その他の地域ではほとんど作られていないことがわかったんです。
そこで、燕三条まで旅をしながら、請け負ってくれる業者を探すことになりました。先ほどもお話したとおり、設計図だけではなかなか意図したものを作ってくれないんですよ。なので、デザイナーさんを連れて燕三条まで行きました。カトラリーって、金型に入れて作っていくんですが、金型職人さんももう本当に斜陽産業になってきているんですよね。そんな方々に会いに行って、細かいところを詰めたりしました。

―これからの展望を聞かせてください。
新たな地域ブランドの発信を考えています。今進めているのが、茶油を売っていこうというもの。お茶からとれる油のことです。お茶の耕作放棄地の解消につながると考えています。今はお茶農家って夏しか収入がないんです。なので、夏以外に収入を得る方法を見いだしていきたいなと思っています。他にも、大都市で暮らす方々を対象にした垂井町への移住促進もやろうとしてます。これも新しく法人を作っているところです。いろいろなプロジェクトで地域を盛り上げていけたらと考えています。

執筆者:島津明香